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AKIの気ままなDaily Life
ENGLISH JORNAL10月号に講師として紹介していただきました。
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このような機会を与えていただき、本当に感謝しております。

私は最近、
「英語を勉強する」事よりも、
「それを人に伝える・教える」事の方が好きだと感じます。

英語が好きなのではなく、
それを「どのように分かりやすく伝え、どのようにそれを学習してもらうか」を
考える方が好きなんだと実感するようになりました。

自分で満足できなかった授業をすると悩みますし、
自分で少し達成感が味わえると楽しくなります。
ふとした瞬間に授業で使えるいいアイディアを思いつくと嬉しくなります。

結局そのためには英語の力を伸ばし、
様々な知識を身につけておく必要があるので勉強していますが、
もっと「教える為の勉強」に比重を置きたいとつくづく感じます。

そして
相手にとって有益となる授業ができるよう追及していきたいと感じています。

「相手に有益となる授業」に必要なのは・・・・

30分で相手に「英語って楽しそう!」と思わせるプレゼン力なのか、
1時間で相手の英語の基礎力が固められる授業力なのか、
1年で相手の英語力を飛躍的に伸ばせる計画力なのか。

全て必要かもしれないし、実は全て必要ないかもしれません。

相手に「英語って楽しい」と思わせるのも、
基礎が固められるのも、
英語力を飛躍的に伸ばせるのも、
実はそれを実行する為には相手を知る事であり、また、相手の気持ちを読む事であり、
必要なのは心理学かもしれません。

まだまだ私が学ばなければいけない分野は沢山ありそうです。

でも・・・

何でこんなに追求したくなるんだろうと自問してもよく分かりません。
いっそ全てをやめてしまった方がラクなのに、と考えることもあるのですが・・・

この登っている山の頂上があるならそこからの風景を見てみたい、
いや、1段上があるならそこが今の風景とはどう違うのか見てみたい、という欲求です。

また逆に・・・

途中で歩くのをやめてしまうと、
今までの努力や苦労全てが無駄になるのではないかというような恐れです。

山を降りたなら、そこの風景にガッカリし、また登りたいと思う時には、
登る体力がないかもしれないという恐怖があるのです。

だから登り続けてしまうのでしょう。


最近「芸は身を滅ぼす」という言葉を聞きました。

本当は背負わなくてもいい苦労を、
一芸に秀でている為に背負う事だそうです。

一芸に秀でているから必要の無い仕事を回されたり、
一芸に秀でているから本来悩む必要の無いことで悩む・・・という事。

私がもし、英語が全くできなくて、この仕事に就いていなければ、
毎日息子と過ごし、それはそれで楽しい生活だったのかもしれません。

余計な勉強時間も必要なくなりますし、
余計な仕事上の悩みもなくなります。

ただ、

なんとなく物足りないのです。
・・・損な性分です。

仕事が無ければ子供を3人でも4人でも作って子育てしたいとも考えますが、
仕事は仕事で自分の人生の中の課題として残しておきたいのです。

・・・変な性分です。

仕事を通じて得られる満足感や達成感、時に感じる何かへの優越感、
仕事を通じて得られる出会いや発見、そして学び。

私が英語をやっていなければ味わえなかったもの、
そういうものを当たり前のように日常で味わえる事が楽しいのかもしれません。

「芸は身を耕す」
たった「英語」という1つの芸だけで、それに値する以上の恩恵を受けています。

「この芸を磨くことで、私自身の人間性や知性もまた耕し続けていけるのだ」と
夜の勉強に身を滅ぼしそうになりながらも、そう信じるのでした。






2012/09/11(火) 09:25:36 | メディア | トラックバック:0 | コメント:0
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